映画「ソーシャル・ネットワーク」を観ました

あんまり映画を進んで観に行く方ではないのですが、話題性や周囲の感想が興味深かったので、珍しく映画館へ足を運びました。観に行った価値がありました。とっても面白かった。

ネタバレするほど映画の感想を書き慣れていないのですが、だからこそうっかり、の可能性もあるので、たたんでおきます。


まず、観る人・楽しめる人へのハードルがとっても高い!と感じました。少なくとも、「Facebook知ってる、使ったことある」「mixiちゃんとやってます」くらいじゃないと、核になっているSNSについてぴんと来ないのでは。それこそ5億人が使っているサービスなので、アメリカでは共通認識が既にできていて、すんなり観られるんでしょうけどね。

導入部分の主人公の言動が、いわゆる「オタク」「ネト充」で、実際はともかく描かれ方は共通するのだなとちょっと笑ってしまいました。彼女や周囲の人間とのコミュニケーションがうまくいかないところは、アスペルガー症候群を踏まえたものなのかな?と思ったり。
その後は速いテンポでFacebookができるまで、成長する過程、主人公と周囲の軋轢がスリリングかつ息をつかせぬ展開で進んでいきます。登場人物が早口なのは異例の演出なのだそうですが(めざましテレビより)、全然そんな風に感じませんでした。むしろリアリティが増していたように思います。

そう、ネットベンチャー、IT企業について、あちこちを切り取って見せるとこんな風だ、というリアリティがものすごかった。まるで自分がいる世界を、国を変えて映画化した、という錯覚すら覚えました。主人公のエキセントリックさは、私が経験してきた業界と似たもの……というより、ほとんど同じようなものでした。周囲の人がよくも悪くも振り回されたり、期待したり裏切られたり。そして、主人公が栄光をつかんで成功してでも孤独だ、という図式は、実はぴんときませんでした。ああいうものだよね、と妙に納得してしまいました。本人というよりは、本人のエキセントリックさに惹かれた周囲がサービスを押し上げていくところも、一番最後の、孤独を象徴するシーンだとされている行動も含めて。

細かいところでは、MySpaceは字幕になっているのにFriendsterがスルーでかわいそす、とか、プログラミングやシステムの話を字幕で読む体験が楽しかったとか、そんなに「女性」が原動力になるものなの?とか、2時間の中にIT企業、非モテ非コミュアメリカの文化などで面白く思うポイントがたくさん詰め込まれていました。アメリカの男性優位社会、学歴社会を前提とした描き方なので、微妙な違和感がありつつもこれが今のアメリカでも普通なのかな?などなど。登場する女性の描き方が極端でしたね。ひどい、不愉快だ、とは全く思いませんでしたが。

翻訳監修に山田進太郎さんと三橋ゆか里さんのクレジットがあり、驚きつつ(一番最後の登場なのに映画全部通して一番驚いた)、だから字幕と内容がなじんでいたのだと感服しました。

Facebookというよりはインターネットの世界を、極端な偏りなくきちんと映像にした、とても面白い映画でした。